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安田章大くんとの出会い

はじめまして。むぎと申します。はてブです。
6年このアカウントやってきて、ここにきてはてブロデビューしました。

理由はみんなやってて楽しそうだったから。自分の好きなものについて好きなように書き殴れる空間に興味があったから。それだけです。文才がないのがつらい。


取り急ぎ、開設記念と文章を書く練習(一応レポートに追われる大学生なんだけどな……)を兼ねて、私のいちばんの推しである関ジャニ∞安田章大くんとの出会いの話をします。

関ジャニ∞との出会い

あれは忘れもしない、2007年7月14日。当時私は9歳だった。


台風4号(私の記憶では3号だったが)が日本列島に上陸し土砂降りの中、埼玉県川越市市民会館にて開催された「関ジャニ∞ えっ!ホンマ!?ビックリ!!TOUR2007」埼玉公演。
一般に47(フォーティーセブン)と呼ばれる、日本縦断ツアーの一公演である。



そもそもこの公演になぜ参加していたのか。
母が「野ブタ。をプロデュース」出の山Pファンで、NEWSのライブに行くためにYou&J(当時はKAT-TUN・NEWS・関ジャニ∞のファンクラブが統一されていた)に入会していた。

当時埼玉在住だったので、関ジャニ∞が埼玉に来るぞ!!ということでミーハー心満載で応募したら当選してしまったのである。
だから私も母もほとんどエイトのことを知らなかった。ごめん。


結局母はとりあえずアルバム「ズッコケ大脱走」を買って当日まで聴き込んだらしい。
その影響と、アルバム宣伝のためにMステで披露されていた曲だったのもあって、私が初めて覚えたエイトの曲は「二人の涙雨」だった。



そして当日。
私は当時お気に入りだった水色のワンピースを着て、水色のラメがついたミュール(時代、、、)を履いて母と会場に向かった。
(小学生女子ってピンク派と水色派に分かれるよね)

会場は土砂降りだった。グッズを買うための列は会場の外に伸びていて、足元を濡らしながら並んだのを覚えている。
途中少しだけ屋根があるところがあって、私たちの前に並んでいたお姉さん2人に「すみません、ここで着替えてもいいですか?」と聞かれた。
もちろん薄着の上からもう一枚着る程度の着替えだったが。


彼女たちが鞄から出したのは、派手なつなぎだった。
そう、かの有名な∞レンジャーの衣装である。
私の朧げな記憶が正しければ、大倉担と錦戸担だったと思う。
今でこそ着る人は子どもを除いてほぼ絶滅したが、10年前くらいまでは大人も普通に着ていた印象がある。


参戦服改め“戦闘服”に身を包んだ彼女たちと列に並び、ついに買う順番が回ってきた。
私は母の買い物に付いていっただけで何も買うつもりがなかったので、欲しい物を聞かれて非常に困った。
だってまだメンバーすら知らないんだもん。

迷った挙句、なぜか(?)横山裕さんのクリアファイルを買ってもらった。
なぜその選択に至ったかは覚えていないし、その後現在に至るまで横山担になったことは一切ない。傾きかけたことすらない。
最近見ていないけど捨てた記憶はないのでたぶん今でも持っていると思う。貴重な思い出の品だ。



ついに会場に入る。私たちは1階席の通路側から2席だった。
隣に人がいないほうが見やすいという配慮だろう、母は私を通路側にしてくれた。


ここまでしっかり読んでくれた方には申し訳ないのだが、公演中の記憶はほとんどない。
曲を知らないのでセトリなど思い出しようもないし、∞レンジャーがあった記憶すらない。
ちなみに47のDVDの公演ダイジェストの埼玉公演はほぼ真っ暗でメンバーの顔すらよく分からないのでそれを観ても思い出しようがない。
埼玉がぞんざいな扱いを受けていて面白いのでDVDを持っている人は見返してみてください。


MCで村上さんが「『台風3号は他の台風よりも勢力が強いらしい』と、行きのタクシーの運転手が言っていた」という趣旨の話をしていた記憶だけある。
(3号と書きましたが私の記憶の話です。実際はおそらく4号)


そしてここからが最も重要な話。
私のジャニオタ人生のすべての始まり。


安田章大くんとの出会い

この公演のオープニングでは、メンバーが特攻服を着て登場する。
大きな会場の公演ではミニバイクで登場するが、埼玉の会場は小さかったのでみんな通路を歩いて登場した。
(会場の規模と座席の構成はNHKホールより少し小さいくらいをイメージしてもらえればいいと思う)
私は通路側にいたし、小さかったから目立ったのだと思う。
横を通った丸山くん村上くんが通りすがりに握手をしてくれた。らしい。あとで親から聞いた。
(マジで記憶曖昧なんだわ)


そして公演中。何の曲の時かは覚えてない。


客降りのときに安田章大くんが私の横を通った。
彼は私に気付き(たぶん全身水色コーデだった私を安田担だと認識したのだろう)握手に加えて頭を撫でてくれたのだ。
なぜかその記憶だけはわりと鮮明にある。
視覚というより触覚と空気感の記憶。


他の誰よりも、そして今までにもらったファンサの何よりも大切な記憶として頭に保管されていると感じるので、このとき安田くんと出会ったのは運命だったんだと思う。
安田担になる人生は決まっていたのだ。


そんな運命的な恋煩い(突然のキンプリ)をした私だったが、このあと母に向かって衝撃的な発言をかます

「今の誰?」


そう。前述の通り、メンバーをほぼ知らない状態で参戦していたのである。
関ジャニ∞に詳しくない者はだいたい錦戸さんくらいしか認知していない時代。関ジミ3の一員である安田章大を知っているわけがない。(失礼)
しかしこの一件で、私の中での安田くんの存在価値は確実に大きくなっていった。


家に帰って公演パンフレットを読んだり、出演番組を観たり、曲を聴いたりしているうちに、小学生ながら彼の魅力に虜になっていった。
女の子のような愛嬌のある笑顔(今でこそワイルドな魅力が増したが当時はめちゃくちゃ女子だった)、番組や雑誌でのアホ発言(これは今でも変わらない)
そして作詞や作曲・ダンスの爆発的なセンス


今でも担当になるタレントはパフォーマンスがきっかけとなることが多いので(eg,堂本光一くん、猪狩蒼弥くんなど)
ジャニオタとしてアイドルを応援する人生のすべての原点はやはりここにあるのだと思う。

そして現在

あれから13年。私たちの環境は大きく変わった。
当時小学生だった私は今年度で大学を(このままうまくいけば)卒業する。
ジャニオタとしても担当グループは年々増加し、さまざまなグループを応援するようになった。
関ジャニ∞はメディア露出が当時に比べ大幅に増加した。応援するファンの数が増えたことは、ライブ会場の規模が物語っている。
そして長い間7人だったメンバーが6人になり、5人になった。
安田くんは髄膜種を患い手術を受け、後遺症をカバーするためサングラスをかけるようになった。
ビジュアルもどちらかというと可愛いものからワイルドなものに変わった(一時期はWANIMAと呼ばれていた)


それでも、私の最も大切なアイドルが安田章大くんであるという事実は変わっていない。

毎年ライブに行くたびに、「ああ、やっぱり関ジャニ∞を、安田くんを好きになってよかった」と感じる。
今年のツアーは当たらなかったし、もし当たっていたとしても休演になっていただろうけど。
早く新型コロナウイルスの流行が治まって、ステージに立つ彼らを直接全身で感じたい。
いつかまた会場で会える日を楽しみに、今は画面越しの応援を続けていこう。


あの朧げな川越市市民会館の記憶を胸に、水道橋に足を運べる日常を待っている。